展覧会にならんでいる絵は、どうやって探し出してくるのですか?

 近代美術館では、年間5本の特別展を開催しています。それぞれ少なくても百点前後、多いときには数百点の作品が会場にならびます。いずれも展覧会のテーマにあわせて、国内外のご所蔵者からお借りした作品です。作家から直接お借りする場合もありますが、多くは国内外の美術館や博物館、作家の遺族、個人コレクターなどのご所蔵品です。

 では、近代美術館のスタッフは、これらの作品をどうやって探し出してくるのでしょうか。作家と相談しながら準備を進める現代展や、美術館同士の話し合いで開催が決まった「所蔵名品展」などでは、まず問題はありません。面倒なのは、テーマにあわせて物故作家の作品を各地から借りてくる展覧会です。

 美術館や博物館の所蔵品になっている場合は、それでも何とか手がかりがあります。完全ではないものの、たいていの美術館や博物館は所蔵品目録を作っています。これを丹念に繰っていけば、大体のことが分かります。あとは電話や手紙で問い合わせれば、ほぼ所蔵先を特定することができます。近年はインターネットで所蔵品リストを公開している館も多いので、かなり効率的に作業を進めることができるようになりました。

 しかし個人のご所蔵品の場合には、このようなリストはありません。1点ずつ探し方を工夫することになります。全国の美術関係者に問い合わせるという「ロコミ」も有力な手がかりですが、最後にものを言うのは力ンと根気です。

 たとえば、淺井柳塘という幕末から明治にかけて活躍した画家の作品や資料を探したときのこと。京都のお寺に墓所があるということは、戦前に京都で刊行された文献で分かっていました。色々思いめぐらしても、このお寺以外に突破ロはなさそうです。そこで美術館のスタッフは何度もこのお寺を訪ねて事情を説明し、ようやくご住職のご理解を得ることができました。ご住職を通じて美術館からの手紙をご遺族に渡していただき、数ヶ月後にご遺族の家を訪ねることができました。曾孫の代になっていましたが、その方と何十年も開けられることがなかった淺井柳塘の手箱を開けると、画稿や印章、手控え帳などが出てきました。

 久米福衛という作家の作品を探したときは、完全に行き詰まってしまいました。徳島に墓所があることも、久米が東京美術学校(現東京藝術大学)で教鞭を執った時期があったことも分かっていました。しかし、お寺も東京藝術大学の同窓会も遺族の消息をつかんでいなかったのです。そこで美術館のスタッフは手分けをして、電話帳をたよりに久米さんというお家に順番に電話をかけていくことにしました。徳島県内と東京区部をかけ終わって、東京の西の郊外でようやくお嬢さんと出会うことができました。お嬢さんの案内で戦争中久米が疎開していた三重県の山奥を訪ねると、廃屋に数十点の作品が遺されていました。戦災でアトリヱが焼失したため、現存を確認できる主立った作品はこれがすべてでした。

 ここでは上手くいった例だけをご紹介しましたが、展覧会のために作品を探し出すという作業は、大半が無駄に終わっています。カンと根気、それと偶然も必要な作業だといえるかもしれません。

 今回は、ちょっと愚痴のような、半ば自慢話のようなお話になってしまいました。展覧会の裏話のひとつと読み流していただければと思います。


徳島県立近代美術館ニュース No.47 Oct.2003
2003年9月
徳島県立近代美術館 江川佳秀