[アーティストの生の声] 教育担当からのレポート 2007

 平成19年度の美術館教育活動は、大勢のアーティストの生の声、創作への情熱に触れることができたと思います。春の飛び出しは「オランダ絵本作家展」にちなんで、日和佐町在住の絵本作家、梅田俊作さん・梅田佳子さんによるワークショップ「親子でつくる楽しい絵本」。みんなをその気にさせるお二人のガイドはとても魅力的で、「作りたいキモチ」がふくらんで、飛び出す絵本のアイデアがどんどん飛び出していきました。

 4月早々から館内での活動と同時並行して、岩野勝人さんコーディネイトになる、国民文化祭「美術展」ワークショップも、春夏秋と県内各地で行われ、総参加者225名がもの作りの楽しさに満ちた時間を過ごしました(63号で詳しく紹介)。講師の岩野さんはじめ、大阪成蹊大学芸術学部の若手スタッフの面々が、参加者とともに創作の喜びに向かっていくその姿勢には、本当に学ぶものが多いです。「くもならべ」ワークショップにパワフルに取り組んでくれた、城南高等学校、城ノ内高等学校・中学校の美術部の皆さんも、きっと生きざまとしてアートの掛け替えのなさを感じてくれたことと信じます。

アーティストの肉声

 秋の「日本画−和紙の魅力を探る」展は、材料としての紙を通して、日本画の歴史から現代アートの可能性までを探ろうとする企画。新作で挑んで下さった竹内浩一・大野俊明・斎藤典彦・森山知己各氏によるギャラリー・トークそして座談会も、素晴らしく充実した内容でした。後日、中野嘉之氏も森学芸員とペアで詳しい和紙トークを披露して下さいました。ものを作る人にとって一番身近な材料の問題を通して、どの方も切実な創作の悩みと嬉しさ、本音を隠さず語っておられたのが印象的でした。「自分らが師と仰いだ人の作品と自分の作品がこうして並び、今度はもっと若い人が我々の作品を見てくれる」と感慨深げに語っておられる声を聞いて、改めて美術館ならではの役割・責務を思ったことです。森山さんには三年振りにワークショップをお願いしました。ここもまた画法や材料の歴史と私たちの生きる今との関係を見つめる機会となり参加の皆さんに大好評でした。

 冬の「IWANO MASAHITO 現代アートによる徳島再見」展のギャラリー・トークにおいても、アーティストの言葉が胸に残りました。自らのアートの出発点をみつめ直すところから、この展覧会を企画していった岩野勝人さんのコンセプトにしてからが、アートを一人ぽっちではなく、自分の歴史、時代、制作し生きている現在の人・社会とのつながりとして考えるものです。自作をめぐって、「僕の記憶に残る故郷の灯り」、「自分なりの徳島の山」といった思いに触れる岩野さんの誠実な語り口に心打たれる思いでした。

 美しいブルーのタブローを前に、谷本天志さんが静かに語った「本物の空を見上げては失望する」という独白も記憶に残ります。「何でもないものに目を向けること」からアートは始まるのだと自作を説いた、彼ならではの言葉の重みを感じました。

私たちもアートを生きる

 定番の学芸員による展示解説や、小学生対象の「とくしま近美 こども鑑賞クラブ」も、順調にお客様の輪を広げています。台風接近のため臨時休館を警戒した7月14日のクラブにも皆勤賞で来てくれた子らがいました。七夕企画「絵に願いを」として、短冊に願いを書き合ったのも楽しい思い出です。

 そして今年度は、新しい所蔵作品展の催しとして、「美術を楽しむ・わたくし流」がスタートしました。美術への様々なアプローチを発見、共有しようとする試みです。8月「田上和子のチェロ演奏」、12月「檜千尋の舞踊」、年が明けて3月には音楽物語「アナトール×アトナール」、それぞれの回ごとに全く違った方法でアーティストの皆さんの「わたくし流」切り口が披露され、静かな感動を呼びました。先陣を切ったのは田上和子さん。絵に見守られながら演奏するのは、独特の緊張感と心地良さがあるのではないでしょうか。聴いている側も、知っている曲がいつもと違って聞こえたり、そして絵が違って見えたりするものです。

 舞踊の檜さんが、会場狭しと彫刻たちとの交流を演じたその旅の果て、ある彫刻の懐に赤ん坊のように心地良さそうに身体をあずけていった姿には、何か象徴的なものを感じました。「わたくし流」プログラムにあって出演者たちは表現者であり、かつ鑑賞者、美術作品を受け取る側の立場でもあります。見ている私たちはそこに優れた表現を見ると同時に、自分たち鑑賞者の姿を鏡に鑑みることにもなるわけです。そのように交流的・相互浸透的な芸術体験の在りようを、檜さんは言葉ではなく比喩でもなく、目の前に生きた姿として示しておられたように思うのですが、ちょっと深読みに過ぎるでしょうか。

 朗読・高島由里、バソン・井村雅音、ピアノ・粟田美佐、3人の魅力が交差した「音楽物語」も、展示室を私たちの知らない時空間へと変貌して見せてくれました。古い日本画の女性像が並ぶ会場に、遠い鐘のごとく粟田さんのピアノが響き始めると、そこはロマネスクの教会です。高島さんの言葉のお話と、井村さんの音のお話が、本当の人形たちのように目の前で動き始めました。自分にできることを真摯に探し求める主人公バルナベの心をマリア様は優しく受け取ります。身をすくめて謙虚な感動に撃たれ、こうべを垂れるバルナベの様子は、そのまま創造に身を捧げる喜びの姿にも思われました。それは紛れもなく、私たちが美術や音楽に感動し、自らが実現されたように思えるあの瞬間に通じることだと感じられました。

 様々な分野の演じ手に共通するように思えた「身をあずける姿」。本当の自分らしい絵との出会い、創作にしても鑑賞し享受する立場だとしても、色々な思いを通り越して身をゆだねるスタンス、そのことをみなさん暗示しておられた、あるいはそれこそ身をもって示しておられた、そう思うのです。

 「ここにある作品も、ここにいる人もみんなバルナベです。」井村さんたちからのメッセージを、本当に心強く思ったことです。


徳島県立近代美術館ニュース No.65 Apr.2008
2008年4月
徳島県立近代美術館 竹内利夫