2007年02月24日

月まで続く階段

引率メモ ―「凍熱 ハンス・ペーター・クーン」展―


 いよいよのクーン展クラブ。演劇畑出身のドイツ人作家にインスタレーションをまかせる、という計画が決まった時から、いったいどんなクラブができるのか楽しみだった日がやって来ました。
 朝、展覧会担当の吉原さんから。きのうは保育園を引率されてその様子をクーンさんに伝えたら、メッセージが送られてきたそう。「こどもたちが将来また美術館に行きたいと思ってくれたら」。それはもちろん僕らの願いでもある。あらためて重みをずっしり。
 田中さんの記念シールも今回は謎めいていて、何なの?とたずねると、「光子がね」だの「今回は記憶を、体験の記憶を持って帰ってほしい」と。9月から手探りでサポート役を重ねてきた田中さん、初めてこうしたいんです!て意見を言ってくれた。それもきっとクーン作品と自分自身との出会いに強いものを抱いたからなんだろうな。
 しかも千客万来。広島から学校の先生が見学に来て下さり、鑑賞教育推進プロジェクトの山木先生も見学。それにいつも記事をのせて下さっている「ワイヤーママ」のライターさんがご家族で潜入取材!今回は変わり種のクラブだし、正直あせってはいましたがいつもの笑顔で平常心(のふり)。

 音と光が主役の展覧会。でもだからこそ、今回いちばん苦労したのは「聞きなさい」「感じなさい」を言わないこと。美術館に初めて来た子でも戸惑わずに済むような引率をしたい。といって作品の魅力を自分で見いだす喜びを大切にしないならクラブではない。そもそもクーンの狙いは気づきにあるのだ。
 冒頭の「凍熱」では数人のグループに分かれて、いったん入って戻ってくることにした。ここだけは少しもったいぶったアプローチ。なにせ展覧会は一方通行の3点構成。1点目だけは素通りをさけたいと考えた。みんな不思議顔ながら、深海みたい・魚だった・骨・草・流れ星・・・。アイデア検討の時にはスタンドバイミーに憧れはしたのだけど、本番のごたごた混雑は僕の計画不足の結果です。
三態 続く「三態」の部屋にいたクラブの子どもたちを僕は本当に好きでした。座ってみたり、思わず映像に近づいたり、謎を発見して告げに来てくれたり、そんな子らをながめている子が誰かのひそひそ話題に反応してモニタまで進んで確かめてみたり。それは僕がそのように生きたいと思う鑑賞者の姿です。ポーズをとらない、自分に見えているものへ寄り添う鑑賞者の姿。
 山場はもちろん最後の「未知の光景」。今気づいたけど、今日みんなに作品名すら告げなかった。ちょっとぞっとする、こんな走ってしまってよかったのかどうか…。でも鑑賞者たちは素敵に活動していた。スピーカーユニットにはり付いてしまう前に、海辺を散策するような時間を持ってほしかった。ごく簡単な、歩け、寝転べ、の旅のあんないカードを僕と森さんが案内者となって渡した。
未知の光景 書く/描くことで体験がひろがっていくことを願って(これも相当迷ったのですが)、門倉さん特製の黄色いカードを配りました。思いうかんだことをいっぱい書こう。今日はどうしてか、ほとんどの子がカードを持って帰りました。(いっつもは、どんなにこったカードあげても置いて帰る…) 驚いたことがあります。指令を受けて寝そべっている子にカードを渡しに行くシナリオだったのですが、堂に入った鑑賞の雰囲気に声をかけにくくて困りました。「すみませんお邪魔します…」 最後、書き込みに没頭している子らに集合をかける時も同じでした。驚きというのが子どもをなめた失礼な考えなのですね。そう。あの子らはクーンの示しと対話していた。邪魔などできない。
凍熱 ところで「感じなさい」を言わないのには僕なりのこだわりがありました。感じねばならないのは、日本画やブロンズ像をみる時も同じ。解説を聞いて納得することが芸術体験ではないことも、サウンドスケープも絵画も同じです。それでも、来場者の五感を精緻に活性するクーンの展示が、6歳から11歳の子らに相通じたことは、やはり強調しておきたい想いです。

 なごりおしそうに「三態」の影で遊んでいた小さな子らと、「凍熱」を逆戻りで歩いて帰りました。「どこまでも月まで続く階段なの。」 返す言葉など見つかるわけもなく、6歳の子の知覚の現れに寄り添うばかりでした。(竹内記)

こども鑑賞クラブ 2月24日
「凍熱−ハンス・ペーター・クーン」
2007年1月27日-3月11日
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