説明 |
終戦後、晃甫は長野県から神奈川県茅ヶ崎に帰った後、一九四八(昭和二三)年頃には、東京へ戻ります。世田谷区岡本町の屋敷は人手に渡っており、焼け跡から戦後の画業をスタートさせようとしました。雅号も「滉人」に変え、心機一転を図ろうとしています。
しかし疎開生活で健康を壊しており、思うように体が動かなくなっていました。かつてのように自由に絵筆をふるうことはできませんでしたが、戦後の日展に出品した〈窓辺静物〉(no.90)や〈秋圃〉(no.91)を見ると、充実した気力が込められているように感じられます。とくに、明るい色彩と簡潔に構成された
〈窓辺静物〉は、新時代の息吹を伝えるかのようなモダンで新鮮な感覚に溢れています。〈秋圃〉は妻が好きだった猫を画面に入れ、秋の季節感を丁寧な描写で表しています。
明治末・大正初期に育んだ日本画の枠を切り開こうとする晃甫の夢は、戦争に向かう時代のなかで中断されてしまいました。終戦後、再びそれを展開させようとしたわけですが、命の残り時間は少なく、〈秋圃〉を描いた翌年、一九五一(昭和二六)年一二月に、肝硬変のため六二歳で亡くなりました。〈菊花図〉(no.92)は、絶筆と伝えられる作品です。 |