徳島県立近代美術館
学芸員の作品解説
メナム河畔に出現する水族館
1967年
油彩 キャンバス
185.4×270.3
宇佐美圭司 (1940-2012)
生地:大阪府
データベースから
宇佐美圭司メナム河畔に出現する水族館
他の文章を読む
作家の目次 日本画など分野の目次 刊行物の目次 この執筆者の文章
他のよみもの
徳島新聞 美術へのいざない

宇佐美圭司 「メナム河畔に出現する水族館」

吉川神津夫

 宇佐美圭司にとって、1966年から作品に登場した、「走る」、「たじろぐ」、「投げる」、「かがむ」の4つの人型は、以後、彼の絵画を代表する要素となっていきます。今回紹介する、<メナム河畔に出現する水族館>にも見ることができます。これらの人型は、1965年にロスアンゼルスのワッツ地区で起こった黒人暴動を伝える『ライフ』誌に掲載された写真から取られたものです。この4つの人型は、人間が置かれた状況を最も集約的に表していると宇佐美が考えるものです。
 人型は当初、アトリエに貼られていましたが、宇佐美は旅行中も持って行ったようです。1966年にはニューヨークに滞在していました。その時暮らしていたタワーマンションの38階では、窓ガラスに人型を貼って生活していたというのです。そして、次のように述べています。
その間、それらの形がどのように外部に風景やイルミネーションと重なり合い、干渉しあうかを記録する。すでに特定の人間ではなく、記号化された形は私の分身となって、様々な輪郭線上に刻み込まれることになった。
 ところが、この旅の帰りに滞在したタイで、宇佐美が、月明かりの下、バンコクのメナム河畔を歩き続けていた時のことです。
 パーティションのあまりない民家が湿気の中ですえた湿気を運び、裸の人々の生活がメナムの流れにただよい、交差する影が狭い路地に揺れる。それは私の絵であった。私が表現してきたものは状況の単なる反映でしかなかったという反省が、私をうちのめした。私は状況に向かって発言するSubjectをうちださなければならない。
 作品タイトルにあるメナム河畔がここに登場します。メナム河畔とは、宇佐美が新たな作品を生み出す必然性に気づいた場所のことなのです。そして、この作品は、その答として制作されたものではないでしょうか。
 作品を見ていきましょう。まず、注意しておきたいのは、人型を用いるといっても、人型の線を自ら描写したのではなく、型紙のように用いているということです。そして、その人型が重ねられたり、画面の対角線上に引かれた直線をはじめとする画面内の線と絡んだりして、別の形態が生まれたりしています。また、人型の内部も空洞の場合もあれば、色彩のグラデーションが見られるもの、筆致が残されたものなど様々です。さらに、いずれも頭部が描かれていないのです。もともと、輪郭だけが用いられているが故に、写真が持っていた意味は失われています。それに加えて、人間の個性を現す頭部がないことによって、より人型が記号的になっているのです。
このように画面上の人型が絡み合うことによって新たな形態が生みだされ、作者の意図をこえて展開していくことに、その試みの独自性があるのです。
*本文中の宇佐美圭司の言葉は、『宇佐美圭司回顧展』図録(財団法人セゾン現代美術館 1992年)に掲載された「回想ノート」を参照しました。
徳島県立近代美術館ニュース No.114 July.2020 所蔵作品紹介
2020年7月1日
徳島県立近代美術館 吉川神津夫