徳島県立近代美術館
学芸員の作品解説
N.Y.-D.T.-10-1966
1965-66年
アクリル絵具 キャンバス
232.3×231.9
川島猛 (1930-)
生地:香川県
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川島猛N.Y.-D.T.-10-1966
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川島猛 「N.Y.-D.T.-10-1966」

江川佳秀

 二次大戦後、アメリカはそれまでのヨーロッパ諸国に代わって政治的、経済的に世界の指導的な位置を占めるようになります。美術の世界でも同じことが言え、ニューヨークがパリに代わって美術の中心となっていきます。抽象表現主義、ポップ・アート、コンセプチュアル・アート(概念芸術)など、アメリカという都市生活の独自な土壌から生まれた芸術思潮が世界の美術をリードするようになるのです。
 例えば戦後間もないころ、日本へやって来たアメリカの美術関係者は「現代美術を見るのならヨーロッパへ行く必要はない」と語ったといいます。それだけの勢いがアメリカの美術にあったのです。
 こういった状況を背景に、1950-1960年代になると、ちょうど戦前の日本人作家がパリに留学したように数多くの日本人作家がニューヨークに引きよせられていきます。先にとり上げた猪熊弦一郎をはじめ、池田満寿夫、イサム・ノグチ、荒川修作など、60年代の中ごろには2300人もの日本人作家がニューヨークで暮らしていたといいます。
 川島猛もその一人です。大学を卒業して8年間、東京で作家活動を続けたあと1963年、ニューヨークに渡ります。当時の川島はニューヨークが「世界の中でも国際的にクリエイティブな芸術の中心地」だと感じたと言います。マンハッタンに定住した彼は「N.Y.~D.T.~10」(県立近代美術館で展示中)の大作の抽象画のシリーズで認められ、2年後にはニューヨーク近代美術館の展覧会に招待出品、4年後には個展を開くまでになります。
 そのころの日本には現代美術に力を入れている画廊はほとんどなく、若手の作家が作品を発表する機会は極めて限られていました。川島はニューヨークに渡ることで、初めて活躍の場を得たといえるでしょう。
 この作品は正方形のキャンバスに幾何学的な格子模様が描かれ、その一つ一つに丸みをおびた有機的な形態が描き込まれています。赤と黒の2色で描かれた大きな画面は圧倒的な迫力をもって見る者に迫ってきます。細部を見ると平面的で装飾的なその形態がまるで男女の身体の一部が簡略化され融合しているかのような官能的な印象を与えます。また日本の家紋や江戸時代の商家の商標なども思いおこさせます。日本の伝統と現代美術の巧みな結合といえるかもしれません。
徳島新聞 県立近代美術館 33
1991年5月22日
徳島県立近代美術館 江川佳秀