徳島県立近代美術館
学芸員の作品解説
利根山光人 失題
失題
1991年
油彩 板
182.9×274.3
利根山光人 (1921-94)
生地:茨城県結城市
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利根山光人失題
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利根山光人 「失題」

三宅翔士

暗色で塗り込められた空間に、騎乗の骸骨と摩天楼が浮かんでいます。ハーフ・メキシカンと呼ばれるほどメキシコにのめり込み、太陽の画家と称された利根山光人(1921~1994)が晩年に取り組んだ「ドン・キホーテ」シリーズの一点です。
中世末期、ヨーロッパで大流行したペスト(黒死病)を機に、ラテン語に言うメメントモリ-“死を想え”の箴言が広まりました。この作品は、その思想表現の一様式である「死の勝利」の場面を彷彿とさせます。骸骨が手にする長槍は、人々を死に至らしめたペストの猛威を暗示しています。
利根山は1955年、東京国立博物館で開催されたメキシコ美術展に感銘を受け、59年に初めてメキシコへ渡ります。そこで現地の壁画運動を率いたシケイロスらと交友し、絵画の学習だけでなく遺跡の拓本採取なども精力的に行いました。
 メキシコには、骸骨の仮装をして市街を練り歩いたり、墓地を派手に装飾する死者の日という風習があります。日本の一般的な仏事とは異なり、死者を陽気にもてなし、送り出す点に固有の特徴が見られます。利根山はこうした死生観、またそれを形成した風土に強く魅せられていました。後年、次のように語っています。
「ぼくにとってフランス美術よりもメキシコ美術がその風土とどのように結びついているかということにひかれたわけですね。この目でそれを見ないと納得できないんです。美術と風土を考えることは、今後の日本美術を考えるときに重大だと思ったので、メキシコに行ったのです。」(「作家の発言 利根山光人」『みづゑ』743号、1966年12月、59頁)
帰国後の1972年、利根山は岩手県北上市周辺に色濃く分布する民俗芸能・鬼剣舞(おにけんばい)を鑑賞したのを機に、同地にアトリエを構えます。その勇壮華麗で力強い演舞に東北、ひいてはメキシコに連なるような野性的、且つ創造的な精神の発現を見たのかもしれません。
1950年代初頭、利根山は過酷な労働条件の下、多くの人命が失われた佐久間ダム(静岡県浜松市)の工事に取材した連作を手がけるなど、早くから強大な権力や欲望に翻弄される人間の存在を捉えていました。そうしたまなざしはメキシコ、そして東北を主題に躍動たる「生」を描き続けた作家の創作活動に貫かれています。
空中を疾駆する騎馬像は、安易に同時代の美術思潮に追従することなく、自己の信念の赴くまま制作に没頭した利根山の自画像でもあるかのようです。

徳島県立近代美術館ニュース No.126 July.2023 所蔵作品紹介
2023年07月1日
徳島県立近代美術館 三宅翔士