徳島県立近代美術館
学芸員の作品解説
河井清一 女

1917年
油彩 キャンバス
45.5×38.0
河井清一 (1891-1979)
生地:奈良県
データベースから
河井清一
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河井清一 「女」

江川佳秀

若い女性は胸をはだけ、真っ直ぐこちらを見ています。女性の視線の先には、絵を描く河井がいるのでしょう。穏やかで安心感に満ちた表情です。画面には華やかな色彩があふれ、若々しい生命感を感じさせます。
 モデルの女性は、結婚して間もない河井の妻恭(恭子)です。河井と恭が結婚したのは1915(大正4)年。河井がまだ東京美術学校西洋画科に在学中のことでした。夫人は東京音楽学校でバイオリンを学ぶ女子学生でした。東京美術学校と東京音楽学校はいずれも上野公園の西隣にあり、校舎が隣接していました。戦後は統合されて一つの大学となり、それぞれ東京藝術大学美術学部、同音楽学部となっています。音楽学校時代の夫人は、音楽学校だけでなく、美術学校の男子学生の間でも評判の女子学生だったようです。
池田諒氏が次のように記しています。

「そのころ、上野の山で評判の美少女に幸田(安藤)幸子門下でヴァイオリンを習っていた岸田恭子という女子生徒がいました。だいたい、当時音楽学校でピアノなりヴァイオリンなりを習う女生徒は皆な良家の令嬢で、眉目うるわしいハイカラさんばかりだったはずですが、その中でも彼女はひときわ目立ったらしい。ただ美人だと言うのではなく、胸高に履いたハカマの裾を揺らしながら、さっさっと活溌に歩くその姿がとても魅力的だったので、音楽学校の男子生徒ばかりでなく美術学校の生徒のあいだでも”憧れの君”でとおっていました。」(池田諒「フランス放浪・自己発見の旅-解説にかえて-」『原勝四郎のフランス放浪日記』田辺市立美術館 2007年 p.185)

 “憧れの君”の心をつかんだ河井は、音楽学校や美術学校の男子学生たちの羨望の的だったはずです。もう一度作品を見直すと、画面からは河井の喜びと、二人の気持ちがしっかりと寄り添っている様子が伝わってくるかのようです。
 河井の作品といえば、まず最初に思い浮かぶのは、1922(大正11)年第4回帝国美術院展で特選を受賞した《こかげ》や、やはり1928(昭和3)年第9回帝国美術院展で特選を受賞した《休み日》など、自分の家族を描いた静かで清潔感のある作品です。敬虔なキリスト教徒であった河井が、自らの信仰に基づき、キリスト教徒の理想的な日常を絵にした作品といえます。しかし、一方で若い頃の河井は、時折この作品や女性モデルを使った裸婦像など、情熱的で艶やかな作品を描いています。信仰の向こうに、自ら封印してしまった部分といえるかもしれません。
 河井はこの作品を含めた3点を1917(大正6)年第5回光風会展に出品し、光風会奨励賞を授賞しました。河井の初期を代表する一点であり、河井が封印してしまった部分をかいま見せる作品といえるでしょう。
徳島県立近代美術館ニュース No.110 July.2019 所蔵作品紹介
2019年7月
徳島県立近代美術館 江川佳秀