徳島県立近代美術館
学芸員の作品解説
夕暮れの春
1920年
絹本着色
198.0×117.0
廣島晃甫 (1889-1951)
生地:徳島県徳島市
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廣島晃甫夕暮れの春
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廣島晃甫 「夕暮れの春」

森芳功

 〈夕暮れの春〉は、大正から昭和にかけて活躍した日本画家、廣島晃甫(1889-1954年、徳島市出身)の代表作の一つとして知られる作品です。
 まず画面をよく観ることにしましょう。春の夕暮れ頃、三日月の見える空の下で、農家の若い女性が張ってきた母乳をしぼるようすを表しています。彼女は子を亡くした母親なのか、何らかの事情で生き別れてしまったのか。日没前の残り少ない光が、孤独に跪く女性や花々、遠くの家並みなどすべてを淡い色彩に染めています。繊細な感性が画面に充ちていて、哀しさを含む女性の物語を想像させています。
 この作品は、当時の美術界で最も権威のあった帝展(帝国美術院美術展覧会)の第2回展に出品され特選を受賞しています。前年の第1回展でも彼は特選を受けており、2年連続の受賞となりました。それは快挙というべきことであり、無名だった若者が美術界における評価を決定的づけたことを意味します。
 彼の経歴を少しさかのぼって説明しておきましょう。東京美術学校(現在の東京藝術大学)の出身。卒業制作の〈玉乗り〉(1912年)は、学生の作ながらサーカスの女性を描いた題材と色面構成の斬新さが注目され、今では明治末大正期の個性表現を代表する作品として評価されています。
 しかしながら卒業後の晃甫は、日本版画倶楽部で新しい感覚の版画作品を発表した他、数年間目立った活躍はありませんでした。経済的にも苦しく、知人の家を居候して過ごす時期がありました。第1回帝展に出品した作品にしても、日本美術院展の落選作を友人が勝手に帝展の審査会場へ持ち込んだものだったのです。
 帝展は、それまでの文展(文部省美術展覧会)を改組し第1回展を開く時期でしたので、清新なスターを求めていました。晃甫の抒情的で繊細な個性は、展覧会の変化をアピールしようとする審査員たちの目にとまることになったのです。ちなみに、第1回帝展の特選受賞作〈青衣の女〉は、暴漢による墨塗り事件で無惨にも汚されてしまいました。
 さて、彼は〈夕暮れの春〉を、神戸の実業家、伊藤長蔵の垂水別邸で制作しています。そこに1年余り滞在したのですが、ほとんど訪れる人もなく自然を友として過ごしたそうです。彼は繊細な精神の持ち主であり、美術学校卒業後、将来の見通しが立たない不安定な生活のなかで心のバランスを崩し、治療も受けていたといいます。そのようなことから想像すれば、この〈夕暮れの春〉は、最初の受賞後、静かな生活のなかで将来を夢見ながら描くことができた作品だったのかもしれません。
 もう一度画面を観てみましょう。花々や人物の周辺は、一度描いたところが削り落とされているのが分かります。それは帝展の会期終了後、自分のもとに戻った作品をコレクターに納めるまでの間に手を加えた表現なのです。当時としては大胆な行為といわざるを得ません。彼は、画面右下の絵具を削ったところに、完成を意味する朱文方印「晃甫画印」を押しています。しかしこの改変により、常識から離れた激しさと繊細さが融合した不思議な均衡が生まれ、一層強く魅力を放つようになったといえるのです。
 廣島晃甫といえば天才肌の日本画家として伝説を残した人ですが、その才能は本作からもうかがえるでしょう。
徳島県立近代美術館ニュース No.95 October.2015 所蔵作品紹介
2015年10月
徳島県立近代美術館 森芳功