徳島県立近代美術館
学芸員の作品解説
労働者
1909年
ブロンズ
h.107.0
荻原守衛 (1879-1910)
生地:長野県
データベースから
荻原守衛労働者
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荻原守衛 「労働者」

安達一樹

 県立近代美術館では、荻原守衛の〈労働者〉を昨年度、新規に鋳造して収蔵しました。
 荻原守衛(1879-1910)は日本の近代美術を代表する彫塑家です。荻原は、フランスでロダンの〈考える人〉を見て彫塑に開眼し、彫塑は「一種内的な力」「生命(ライフ)」の表現であるとして作品の制作を行いました。
 この〈労働者〉は、1909(明治42)年の第3回文部省美術展覧会に出品されたもので、荻原の作品の中でもかなりの労作です。制作にあたって、作品のテーマや形態、作造形上の問題など様々な困難を克服して作られました。
 作品の構想は、最初は鶴嘴を持った立像で「破壊」というような題名が考えられていました。しかし、この作品のために雇ったモデルの農夫が、その構想にふさわしい力が出せそうにもなかったことから、理屈抜きで、モデルそのままの農夫を作ることにしたと荻原は語っています。形態も立った姿から腰掛けた姿となりました。そして題名も「農夫」が「労働者」という題名に変わったことについては、よくわかりませんが、発表までの間に荻原の内部で作品のテーマについて再度変化があったことは確かでしょう。
 また、造形的にも、制作中に、粘土の重さで、作品の骨となる太い鉄の心棒が曲がるというアクシデントに見舞われています。これにより、右前腕と右下腿で一本の柱を作り、体を支えるような形態をとらざるを得なくなってしまったようです。〈労働者〉の出品時の状態は、第三回文部省美術展覧会の入選記念絵葉書から知ることができます。荻原は展覧会には全身像で出品しているのです。
 なお、このポーズは、一見、ロダンの〈考える人〉と似たような形に思えます。しかし、よく見比べれば、違いがわかります。〈考える人〉は右肘を左大腿にのせているのです。この右か左かの違いは作品の構成の上ではたいへん重要で、〈労働者〉が外に向かう動きを発しているのに対し、〈考える人〉は内への動きをじさせます。作品の力が完全に逆の方向をいているのです。
 ところで、この度、新しく鋳造して収蔵した作品には、左腕や足の膝から下の部分がありません。これは作品が壊れてしまったわけではありません。荻原が、作品が展覧会しまった場合でも人間の像として完成した品といえるのだろうかという疑問を持たれるかもしれません。しかし、彫塑は人の姿の模造でありません。特に、この作品の制作では、荻原はいろいろと苦労しました。全身像の写真では、それだけにうまくいっていない部分や力の不足している所など、気になる点が多くみられます。しかし、その後、荻原が不必要と思われる部分をバッサリと取り去ったことによって、たいへん密度が高く力強い作品となったのです。取り去ったことによリ完成したともいえるでしょう。
徳島県立近代美術館ニュース No.30 Jul.1999 所蔵作品紹介
1999年6月
徳島県立近代美術館 安達一樹